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息子とのキャッチボール 父とのキャッチボール

息子とのキャッチボール

久しぶりに小学生の息子とキャッチボールをしました。

息子は少年野球チームで毎週1回の練習を続けていて、ボールを捕ることも打つことも前より上手になっていました。

「おっ」と嬉しく思いました。

誰よりも父とキャッチボールをした私

私の場合キャッチボールは、父との記憶に繋がっています。

私が人生で(というと大袈裟ですが)一番キャッチボールをした相手が、父だからです。

小学生の頃、私は父と家の隣の空き地でよくキャッチボールをしていました。

ほぼ毎週末、私たちは空き地でバッテリーを組みました。

私がピッチャーで父がキャッチャーのキャッチボールは、10球投げて何球ストライクが取れるか×10回=100球のようなやり方でした。

大人になっても、父との関係に悩む


私の人生には、父との関係の悩みがその時々で濃さを変え強さを変え付きまとっていました。

10代の頃、私は本当に父がイヤでした。一緒に暮らしていたので、逃げ場のない家の中で父の弱さを否応なく浴びる夜がありました。

20代で私が家を出ることによって、私と父は離れて暮らすようになりました。

30代〜40代では私自身が結婚し、子どもたちに恵まれました。平行して私は、カウンセリングを受けたり自助グループに通ったりしていました。父への恨みによって、自分自身が潰されそうになっていたのです。

今考えても、物理的に離れて暮らしたことが、私にとって吉と出ました。のちに母から聞いた話ですが、私が家を出たことを聞いた母の友人が、「〇〇くん、良かったね」と胸を撫で下ろしたといいます。


50代となった今も、一緒に暮らす自信はありません。

とはいえ、父への思いが恨みだけであるはずもなく、さりとて感謝や愛情だけでもない。以前カウンセラーの方から「お父さんはあなたにとってこの世で最も苦手な人なんです」と言われたことを思い出します。

そうして私たちの関係は続く


もう父と離れて暮らした時間の方が長くなっています。

時々実家に帰ると、私と父はそれなりに普通の話をします。何事もなかったかのようにではなく、ずいぶん前に何事かがあったもの同士として。

私たちの態度や言葉のキャッチボールはどのようなものなのでしょうか?

相手が捕れるボールを投げているのでしょうか?

相手のボールを一生懸命に捕ろうとしているのでしょうか?


父は、不器用に私の妻や子どもたちを大切にしてくれます。

父は、子どものお小遣いにしてはちょっと多いかな!?という額を子どもたちに渡して喜ばれています。

喜んでいる子どもたちを尻目に、妻はちょっとだけ複雑な表情で笑っています。


私が10代の頃に父が投げていた悪球を、私は受け止められるはずもありませんでした。

でも、本当の父は学生から社会人となってもずっと草野球の選手で、キャッチボールはお手のものでした。

あの頃、実家の隣の空き地で毎週毎週私のボールを受け止めていた父は、まちがいなく一生懸命に私のボールを捕ってくれる唯一のキャッチャーだったのです。おそらくは今も